胡散臭いことは胡散臭いと誰かが言わなければならない

先日の朝日新聞に載っていた文章にこんなことが書いてありました。「胡散臭いことはおかしいと誰かが言わなきゃならない」というものです。
ごめんなさいごめんなさいと言いながら育児しなくてはならない、キッズの音は不具合だ、保育園が市民の非難ムーブメントにより建設解消になる、そんな世界は何か楽しい!それは誰かが、音を上げなくてはいけない。最初に音を吊り上げるのは勇気がいることです。だけれども誰かが音を吊り上げることによって世界を変えていかなくてはなりません。
自身はこういう文章を読んで自分の第六感がエラーでなかったとセキュリティーしました。近所の不具合だからといって保育園を建設が解消になったり、「公園では静かに遊びましょう!」という人気書きも面白いというのです。育児講じる時局が窮屈になると、少子化が進んでも仕方がないのかなと思います。キッズをしつこくさせては不具合と言われるため親が過敏になり、それがこどもDVにつながっているかもしれません。キッズにこぶしを並べるのが親だとしてもその背後にはこういった世の中の様子が重くのしかかっていると思います。
動く女性にとって保育園は心から大切です。生活に携わるものです。それが近所の市民の非難で建設解消になるのではいつまでたっても保育園欠陥は解消されません。
何が正しいかを考えるときに絶えず中島みゆき氏の歌「NobodyKnows」を思い出します。

仮にあなたが何とも規則正しくて、全額規則正しくて、界隈を見れば
世における以上全部は、それぞれ以外はエラーばかり
つらいだろうね、そのワンデイは。嫌いな者しか出会えない
さむいだろねその運命は、侮辱しか抱けない
正しさと正しさとが相いれないのは果してどうしてです!

至高規則正しい思いなどないのだと思います。でも楽しいことは胡散臭いと言える世の中にしなくてはならないと思うのです。そろそろ無駄毛処理が嫌になった女性はこちらへ

胡散臭いことは胡散臭いと誰かが言わなければならない